豊田兼は桐朋高校出身で学歴は?フランス人の父親の職業についても

パリオリンピック2024

男子ハードル110mと400mの両種目で活躍中の二刀流ハードラー豊田兼選手が、パリオリンピック出場のためフランス・パリへ羽田空港から出国しましたね。

豊田兼選手の父はフランス出身で、父の母国でのオリンピック出場ということでさらに注目があつまっています!

また、身長195cmというモデル並みの高身長と端正な顔立ちで、俳優の岡田将生さん似のイケメンと言われていますよね。

そんな豊田兼選手は名門桐朋高校出身で、現在は慶應義塾大学という高学歴の持ち主で、学業と陸上を両立しながらハードル選手として実績を積み上げてきました。

今回は、豊田兼選手の学歴やフランス人の父親の職業についてお伝えしていきます。

ぜひ最後までご覧ください。

豊田兼 桐朋高校出身学歴について

豊田兼選手の学歴は、次のようになっています。

豊田兼選手が、母校の桐朋高校同窓会に贈ったパリオリンピックへの抱負メッセージ動画の中で、小中高と母校のグラウンドで練習した思い出を話していました。

母校の桐朋高校同窓会に贈ったパリオリンピックへの抱負メッセージ動画はこちらです。

桐朋小学校

豊田兼選手は、幼稚園や小学校で足が速いことをよく褒められていたことなどがきっかけで、母親に勧められて小学2年生で陸上を始めました。

そして小学生の時にスポーツクラブに入って本格的に陸上を始めたそうです。

そして中学2年生の時に四種競技(男子は400m・110mH・走高跳・砲丸投の四種)をはじめて、ハードル種目も経験するようになりました。

豊田兼選手が陸上を始めたきっかけや、小中学時代の様子をインタビューで次のように話しています。

豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年5月)

小学校2年生のときに母の勧めもあって、クラブチームに入りました。人と競って走ることが好きだったので、近くのクラブを探したのがきっかけです。試合に出始めたのは小学校4年生くらいのときですね。

――陸上競技の中でもハードルを選んだ理由は何だったのでしょうか?

400m、110mH、走高跳、砲丸投の四種競技をやっていて、その中で110mHと400mが得意だと自分でも分かったんです。高校でも400mと掛け合わせれば、400mHもできると思い、ハードルを中心にやることになったという感じです。

引用元:TOKYO FORWARD 2025

豊田兼選手のインタビュー記事より(2023年10月)

小学5年生でスポーツクラブに入りました。きっかけとしては、幼稚園や小学校で足が速いことをよく褒められていたことと、1学年上に勝てない先輩がいたことです。小学校では100mや走幅跳をやっていて、中学2年生の時に先生から勧められた四種競技(男子は400m・110mH・走高跳・砲丸投の四種)を専門にしていました。

引用元:Seiko HEART BEAT Magagine

豊田兼選手が10歳だった2012年にテレビでロンドンオリンピックを見てオリンピックへの夢が大きく膨らんだそうです。

その時の様子をインタビューで次のように話しています。

豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年3月)

男子200m決勝で黒人選手がズラリと並んだ中、ただ一人の白人選手だったクリストフ・ルメートル(フランス)のたたずまいが「すごくかっこよく見えて憧れた」のだ。父がフランス人ということもあり、「パリは親近感がありますし、パリオリンピックは目指さないといけない大会」と力を込める。

引用元:4years.

桐朋中学校・高等学校

桐朋中学校・高等学校は、東京都国立市中三丁目に所在し、中高一貫教育の私立男子中学校・高等学校です。中学校もしくは小学校から入学、または幼稚園から入園した内部進学の生徒と外部進学の生徒が混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校。学校法人桐朋学園によって運営されています。

桐朋高等学校 偏差値2024年度版の偏差値は71で、東京都内私立では第9位となっています。

偏差値70は、上位から約2.28%の学力層ですので、100人中3人未満の、まさに最上位の学力レベルということになり、豊田兼選手の学力の高さがよくわかりますね!

また、絵本作家の五味太郎さんや俳優の西島秀俊さんなど多くの著名人が桐朋高校出身です。

豊田兼選手は中高一貫で内部進学してから、得意としていたハードル種目を始めると、高校2年の時に400mハードルでインターハイの準決勝に進出しました。

また、110mハードルではU18日本選手権B決勝で8位に入理、コロナ禍だった3年生の全国高校大会では、110mハードルで4位、400mハードルで5位と2種目入賞を果たしています。

豊田兼選手は、高校生の時に身長が190cmを超えたそうで、ハードル選手としてさらに強くなっていったのですね!

その時の様子をインタビューで次のように話しています。

豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年5月)

――ご自身のどういう特長がハードルに向いていると考えますか?

ハードルは背が高い方が有利と言われているので、そういう意味で僕は有利かもしれません。高校に入学したころは170cm台後半でしたが、そこから1年で10cmずつ伸びて、190cmを超えるくらいになりました。背が伸びたことによって目線が高くなったので、跳ぶことにおいて気持ち的には楽になりましたが、逆に筋肉がなかなか追いつかなかった。

―110mHと400mHを両立されていますが、何かきっかけはあったのでしょうか?

高校時代に最初は400mHを専門にやっていて、インターハイにも出ました。ただ、コロナ禍になり、競技場も使えなかったので長い距離を走る練習ができなくなってしまったんです。家の近くで練習していく中で、110mHにシフトしていきました。それで3年生のときはうまくいったんですけど、逆に400mHは結果を出せなかった。そうした状況で進学を考えるにあたり、せっかくなら両方やっていきたいと思い、慶應義塾大学を選んだという経緯があります。

引用元:TOKYO FORWARD 2025

慶應義塾大学競走部

豊田兼選手は慶應義塾大学進学時に、髙野大樹コーチとパリオリンピック出場までの「4年計画」を立てたそうです。

そして豊田兼選手は、昨年の大学3年の時に8月に中国・成都で開催されたFISUワールドユニバーシティゲームズに出場して、110mハードルで金メダルを獲得しました!

FISUワールドユニバーシティゲームズ( FISU World University Games)は、国際大学スポーツ連盟(略称: FISU)が主催する総合競技大会。全世界の学生たちが集まり、一般に「学生のためのオリンピック」といわれています。

この種目での世界一は、ジュニアなどの全カテゴリーを通じて、日本人選手初の快挙だったそうです。

400mハードルでは昨年9月の日本インカレを制し、10月には日本歴代6位となる48秒47をマークして、パリオリンピックの参加標準記録(48秒70)を突破して、パリオリンピックの出場権を獲得しました。

そして豊田兼選手は、昨年1慶應義塾大学競走部107代目の主将に就任しました。

伝統のある競走部を引っ張りながら、自身の夢の実現に勝負をかける思いをインタビューで次のように話しています。

豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年3月)

「もちろん、幹部としての日々のマネジメントはありますが、第一に自分がやらないといけないことは競技でしっかりと結果を残すこと。背中で引っ張る姿は絶対に見せていかないといけないと思っています」

107代目のチームスローガンは「すゝめ~We Over Me~」。慶應義塾の創設者・福澤諭吉の名著を連想させる「すゝめ」には、二つの意味が込められている。

「一つは、一人ひとりが自分の競技を前に進めていこうというもの。もう一つは、競走部や競技を通じて培った何かを本当に人に勧められるかを意識すること。これは陸上競技を今までやってきて、自分の中で軸がしっかりとあるかということの表れだと思います。そこにチームは個人に勝る、という意味の『We Over Me』を副題としました」

引用元:4years.

◾️豊田兼選手のプロフィール◾️

  • 名前:豊田兼(とよた けん)
  • 生年月日:2002年10月15日(22歳)
  • 出身:東京都
  • 身長:195cm
  • 所属:慶應義塾大学 アスリートチームTeam Seiko加入

豊田兼の父親はフランス人で職業は?

そして豊田兼選手の父親についてお伝えしていきます。

豊田兼選手の父親はフランス人で母親は日本人で、父親の名前や職業は公表されていませんでした。

豊田兼選手は、小学校の時からオリンピック選手に憧れを持っていましたが、大きな枠で「将来は国を渡って仕事をする」と過去のインタビューで話していました。

“兼(けん)”という名前には、国をつないで活躍してほしいという両親の思いも込められているそうです。

このように家族が国際的な意識が高いことから、推測ですが父親や母親が国際的な仕事をしている影響があるのかもしれませんね。

 豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年6月)

大学の途中まで、「将来は国を渡って仕事をするイメージでした」というが、いまは世界と勝負できるハードラーとしての期待が高まっている。慶應で過ごした間に、豊田の人生は大きく変わったのだ。

 父の母国でもあるフランス。文化的にはその影響下で育ったこともあり、家族にとっても、パリで開催されるオリンピックに豊田が出場することには大きな意味がある。そして豊田自身がなにより楽しみにしている。

「より高いレベルで競技ができれば、それは自分の成長につながるはずです。出場できればの話ですが、フランス語のインタビューにもなんとか対応できると思います(笑)」

引用元:AERA dot

フランス語も堪能なバイリンガルで読書好き

そしてフランス人の父親と日本人の母親を持つ豊田兼選手はフランス語と日本語を話すバイリンガルです。

家の中では、父がフランス語で話しかけてきますが、時と場合によっては日本語で返したりします。

 引用元:AERA dot

また、豊田兼選手は両親の影響で、幼い頃から本を読むのが大好きだったそうです。

「好きなのはフランスのミステリ作家、ピエール・ルメートル。ルメートルの作品は、物語の推進力があります。でも、ハッピーエンドというわけではなく暗いんですけど(笑)。それもまたフランスっぽくていいと思っています」

 引用元:AERA dot

豊田兼選手の知的さは、幼少期から父親の母国フランスの文化に触れて育ち、本をたくさん読んでいたことも大きく影響しているのですね!

父親の祖国フランスでオリンピック初出場

また豊田兼選手は、7月24日にパリオリンピックへ向けて出国した時のインタビューで、パリオリンピックへの決意などを次のように話しています。

豊田兼選手のインタビュー記事より(2024年7月)

父の祖国でもあるフランスは幼い頃から何度も訪れ、「3年ぶりくらい」だという。現地で楽しみなのは「昨年のワールドユニバーシティゲームズで交流した人との再会」。フランスには「慣れている」とはいえ、「食事の面ではお味噌汁を大量に持ってきました」と笑う。

パリ五輪では「決勝を目指して飛躍できるように。そのためにも自己ベストを目指して頑張ります」。理想としては予選を「様子を見ながら」通過し、準決勝では日本選手権で見せたような「前半から攻める」レースで勝負にでる構えだ。

引用元:月陸online

男子400mハードルに出場する豊田兼選手の活躍を期待して応援していきます!

まとめ

今回は、豊田兼選手の学歴やフランス人の父親の職業についてお伝えしました。

名門中高一貫の桐朋中学高校出身の豊田兼選手は、フランス人の父親と日本人の母親のもとで、国際人としての意識を持つように育ちました。

父親の母国フランスでのオリンピック出場ということで、さらに家族の期待も募っていますよね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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