俳優の坂口涼太郎さんが、『旅サラダ』に出演されて、話題になっていますね!
その個性的な顔立ちと独創的な演技に『クセメン俳優』と話題になっています。
また、坂口涼太郎さんの兄弟は芸人・ひょっこりはんや坂口健太郎さんなのではと噂になっていました。
今回は、坂口涼太郎さんの両親について、兄弟がひょっこりはんや坂口健太郎と言われるワケについても調査しました。
ぜひ最後までご覧ください。
坂口涼太郎の両親について
まずは、坂口涼太郎さんの両親についてお伝えします。
坂口涼太郎さんの両親は、会社員の父親と専業主婦の母・由紀さんです。
坂口涼太郎さんの父親の名前や、両親の年齢の情報は得られませんでした。
◇坂口涼太郎さんの両親の写真はこちら。(参考元:週刊女性PRIME)
子育てに専念するために仕事を辞めて専業主婦に
坂口涼太郎さんは1990年8月15日、神奈川県で生まれました。現在は34歳です。
母・由紀さんは、『子どもは鍵っ子にしたくない、たとえ生活が苦しくても子育てに専念したい』と夫と約束をしていたそうです。
そして由紀さんは仕事を辞めて、涼太郎さんと一緒に子ども時代を楽しもうと子育てをはじめたそうです!
涼太郎さんの名前の由来は、夏の暑い日に生まれた涼太郎さんの顔をみたら、白くて涼しい顔だったので、“涼”の字をつけたそうです。太郎は『桃太郎』や『金太郎』などの本を読むときに一緒の名前だと楽しいかなと、実際に涼太郎と言い変えて絵本を読み聞かせをしていたそうです。(参考元:週刊女性PRIME)
歌やダンスが大好きで幼少期の夢はサーカス団
坂口涼太郎さんは、幼稚園に入る前から、歌やダンスが大好きだったそうです!
幼少期の涼太郎さんがダンスを披露している様子の写真はこちら。
両親は、坂口涼太郎さんにいろんな経験をさせて、好きなことを見つけてほしいと考えていました。
そして坂口涼太郎さんは、家族でコンサートや美術館などへ出かけて、幼少期から芸術的センスを磨いていたのですね。
また、音楽が好きだった坂口涼太郎さんは、3歳からピアノを始めて中学まで続けていたそうです。
「歌を歌うのがとても好きな子で、テレビを見て歌を覚えて、踊ったりしていました。涼太郎が初めて覚えた言葉は『きれいね』で、花や景色を見ては私や周りの人に『きれいね』と言っていました」
引用元:週刊女性PRIME
幼稚園に入る前、初めて子ども向けのコンサートへ行くと熱心にステージを見つめ、家に帰ってきてから歌い踊っていたことから、コンサートやミュージカル、映画や美術館などへ家族で行くようになったという。幼い坂口は襖を開いて家族の前に登場し、テーブルの上に乗って「涼ちゃんオンステージ」をしばしば繰り広げた。由紀さんは「いろんなものを見せて、いろんなことを体験させるのが大切で、その中から自分で好きなことを見つけてくれたらいいなと思っていました」と子育てで大事にしたことを語る。
小学3年生の時に神戸に引っ越し
坂口涼太郎さんは、父親の仕事のため小学3年生の時に、神戸に引っ越しをしました。
そして、幼稚園のときから「サーカス団の人になりたい」と夢を持っていた坂口涼太郎さん。
小学4年生のときに、大阪で見たミュージカル『キャッツ』の楽曲『メモリー』を聴いて号泣したことがきっかけで、舞台に立ちたいと強く思ったそうです!
「小1のとき、握手をしてお互いに自己紹介しましょうというのがあって。そこで同級生にアトピーの肌を指さされて『それ、触ってもうつらないよね?』と言われたんです。『大丈夫、うつらないから平気だよ』と笑って言ったんですけど、それで『俺は誰かにとって、触りたくない人間なんだな』ということに気づいてしまって……。
外から自分がどう見られているのか、という客観性みたいなものをわかってしまったんですね。そのことが『メモリー』の『お願い 私にさわって 私を抱いて 光とともに』という歌詞で思い出されて、すごくグッサーときてしまって! そうか、自分は誰かに触れられたかったんだという、それまでずっとフタをしていた気持ちがあふれてきて……それが“歌う”という行為で救われて、ちょっと気持ちが楽になったんです」
いずれは舞台に立ちたいと思った坂口だった・・
引用元:週刊女性PRIME
森山未来の両親のダンス教室
ミュージカルの舞台に立ちたいという夢を持っていた坂口涼太郎さん。
中学2年生の時に母・由紀さんの勧めで、ダンスを習いはじめます。
母・由紀さんは、坂口涼太郎さんに合いそうなダンス教室を探して、偶然にも俳優・ダンサーの森山未來さんの両親が営む教室『スタジオモダンミリイ』に出会ったそうです!
そして中学3年生の時にダンス公演の手伝いをした坂口涼太郎さんは、表の舞台に立ちたいと強く思ったそうです。
「中学に入ってから涼太郎が劇団のオーディションを受けようかと言っていたので、『あなたがやりたいのはミュージカルでしょ? 歌は上手だけど、ダンスも必要だから習ってみたら?』と、電話帳で神戸近くのダンススタジオを探したんです。そのころは男の子でダンスを習う人が少なかったので、男の先生がいるところ、いろいろなダンスが学べることでふるいにかけました。女の子の中に涼太郎1人だとやりにくいだろうなと思って。それで見つけたのが、スタジオモダンミリイだったんです」
「学校が終わると電車を乗り継いで、1時間くらいかけて行ってました。結構遠かったんですよね。帰りが遅くなると、父が車で迎えに来てくれたりしました」
「中3のときにモダンミリイのダンス公演の手伝いをしたんですけど、僕は裏方で……羨ましかったんですよね。本当は向こうのスポットライトが当たるほうに行きたい、と思いながら舞台の袖ですごく踊ってたら、怒られました」
引用元:週刊女性PRIME
『スタジオモダンミリイ』は、兵庫県神戸市東灘区の阪神電鉄御影駅と石屋川駅の間の高架下にあるダンス教室。森山未來さんも幼少期からJAZZ、TAP、HIPHOP、BALLETの多ジャンルのダンスレッスンをしていたそうです。(スタジオモダンミリイ公式サイトはこちら。)
神奈川県へ転居後に森山未來とダンスで共演
坂口涼太郎さんが高校入学のタイミングで、父親の仕事ために再び神奈川県に引っ越しすることになりました。
坂口涼太郎さんが、ダンス教室へ通えたのは1年ほどだったそうです。
ですが、神奈川県に引っ越して坂口涼太郎さんが高校2年生のときに『スタジオモダンミリイ』からダンス公演のオーディションの誘いを受けたそうです。
そして坂口涼太郎さんはオーディションに合格して、森山未來さんとダンス共演することになりました。
この時のダンス公演がきっかけで坂口涼太郎さんは、ダンサーだけでなく俳優という選択もあると思ったそうです!
◇坂口涼太郎さんダンス公演の写真はこちら。
結果は合格。坂口は高2の夏休みに1人神戸へ行き、ホテルや森山家に居候しながら、『戦争ワンダー』という公演の稽古と本番に全力を尽くした。その姿を見ていたのが、森山未來の友人で、同じ公演に出演していた俳優の八十田勇一だった。
「未來くんから出てほしいと言われたんですけど、僕は踊れないよと返事をしたら『言葉のダンスをしてほしい』と言われて。この公演はダンスで表現するステージだったのでセリフがなかったんですけど、僕のところだけ未來くんとダンサーとトリオ漫才をやるという演出だったんです」
引用元:週刊女性PRIME
「涼太郎はコミカルな部分を任されてたんですけど、そのダンスを見てたらね、なんかスズメがすごくしゃべりたそうだったんですよ(笑)。だから楽屋で『何かセリフ言ったらいいのに』とすすめたんですけど、演出上しゃべることは許されないというので、『じゃあおまえ、役者になれば?』と。役者になればダンスもできるし、セリフも言えるよって」
「僕のダンスがすごく演じてる踊りだったらしくて。もし八十田先輩との出会いがなかったら、役者は全然考えもしなかったですね」
舞台に立つ人になりたいと思っていた坂口にとって、初めて俳優という選択肢が生まれた瞬間だった。
引用元:週刊女性PRIME
高3で事務所に所属して専門学校へ進学
坂口涼太郎さんは高校3年生の時に、芸能事務所『キューブ』に所属しました。
それから俳優としてオーディションを受けながらレッスンをする日々を1年ほど続けたそうです。
高校を卒業する時に、両親の勧めで文化服装学院へ入学しましたが、仕事が忙しくなって学校を中退したそうです。
坂口涼太郎さんが世間に知られるようになったのは、2016年公開の映画『ちはやふる -上の句-』で演じた、おかっぱ頭でヒョロヒョロな体形の“ヒョロ”こと木梨浩役でしたね!
高3の秋、『戦争ワンダー』に出演したダンサー仲間と一緒にケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出の舞台『犯さん哉』を見に行った坂口は、心から舞台を楽しみ、楽屋の八十田を訪ねた。
そこで坂口は舞台で八十田が共演していた古田新太、中越典子、姜暢雄、大倉孝二、入江雅人、山西惇らが同じ事務所「キューブ」の所属であることを知り、さまざまな個性の俳優がいることに興味を持ったという。
引用元:週刊女性PRIME
実家歴30年
現在、34歳の坂口涼太郎さんは、30年間実家暮らしをしていたそうです。
そして30歳の時にようやく一人暮らしを始めて、料理もするようになったのだとか。
坂口さんは「僕は恵まれた家庭の箱入り息子で、30代まで実家で親のスネをかじりつくしてた(笑)。
引用元:婦人公論.jp
◇坂口涼太郎さんが実家をでて一人暮らしをする様子は連載『ミモレ』でご覧いただけます。こちらからどうぞ。
ご両親の愛情たっぷりに育って、居心地良く過ごされていた様子が伝わってきますね。子育てに専念された母・由紀さんも、涼太郎さんが俳優として活躍してとても喜んでいらっしゃいますよね!
坂口涼太郎の兄弟は
つづいて、坂口涼太郎さんの兄弟についてお伝えします。
坂口涼太郎さんに、兄弟はいません。
兄弟はひょっこりはんと言われるワケ
坂口涼太郎さんと、芸人のひょっこりはんが兄弟と言われるワケは、2023年に2人が共演した番組『相席食堂』がきっかけと言われています。
この番組で、坂口涼太郎さんがひょっこりはんに服装などを似せた演出から、兄弟と噂になったようですね!
坂口涼太郎さんと、芸人のひょっこりはんは、ABCテレビの番組「相席食堂」で「ドッペルゲンガー相席」を披露。2人は“ドッペルゲンガー”のように顔が似ていると評判で、涼太郎さんはひょっこりはんにそっくりのランニング姿で登場し、ひょっこりネタを披露しました。(『相席食堂』の2人の様子はこちら。)
番組で個性的な坂口涼太郎さんが紹介されると、“クセ”のある旅の様子に芸人・千鳥からは「個性がすごい」「これは見つけちゃったかも!」との声が上がっていたそうです!
兄弟は坂口健太郎と言われるワケ
つづいて、坂口涼太郎さんが、俳優・坂口健太郎さんと兄弟と言われるワケをお伝えします。
2019年にドラマ『イノセンス冤罪弁護士』で2人が共演した際に、雰囲気が似ているとのことから、兄弟なのではと噂になったようです。
また、2人の名前の漢字が『涼』『健』と一文字違いということが、兄弟なのでは?!と注目が集まっていました。
「イノセンス 冤罪弁護士」第7話
— 坂口涼太郎 (@RyotaroSakaguTw) March 2, 2019
今夜10時から放送です⚡️
"一文字違いでこの違い"でお馴染みの健ちゃんに、5年ぶりに会いに行ってきました
W浅野ならぬW坂口で頑張ろうとか言ってたのが懐かしい
初共演記念日
現在と5年前の俺ら📷
次は生き別れの兄弟役で共演しよ#坂口健太郎 #坂口涼太郎#イノセンス pic.twitter.com/8DbxLUHEyl
今夜10時‼️第7話です🤗事件の目撃者として裁判に呼ばれたのは…#坂口涼太郎 さん😳#坂口健太郎 さんと並んでW坂口です🥳意外と共演回数は多いらしく…名前も似てるし、なんだか縁を感じてました😂✨今回の事件…弁護士失格を言い渡される拓&命がけの再現実験😱かなり必見の回です‼️#イノセンス pic.twitter.com/uqI1hY2gtV
— 【公式】1月期土曜ドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」 (@innocence_ntv) March 2, 2019
まとめ
今回は、坂口涼太郎さんの両親について、兄弟がひょっこりはんや坂口健太郎と言われるワケについても調査しました。
坂口涼太郎さんの両親は、会社員の父と専業主婦の母・由紀さんです。
父親の仕事の都合で、坂口涼太郎さんは神奈川県と兵庫県で育ちました。
母・由紀さんが坂口涼太郎さんが俳優として活躍するまでに大きなサポートをされいましたね。
坂口涼太郎さんに兄弟はいません。
ドラマや番組の共演がきっかけで、その顔立ちや雰囲気が似ているとして、芸人・ひょこりはんや坂口健太郎さんと兄弟なのではと噂になっていました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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